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朝一番、漁港で見かけた海女さんは、ヨモギの葉っぱを摘んでいました。「眼鏡の曇り止めにするんだよ。」wajima2013-02
輪島市から48キロ沖にあるアワビ、サザエなど豊富な磯資源に恵まれた「舳倉島」、そのほぼ中間にある「七つ島」、西にある「嫁ぐり」を漁場としている海士町の海女。漁場が遠く、かつては、漁の時期だけ舳倉島で暮らすという「島渡り」がほとんとでした。船の高速化などにより、日帰りで往来するようになったと聞きました。wajima2013-04
6時過ぎ。港から船が出てしばらくすると、ガサゴソかばんの中からお弁当箱を出す、(私と)同世代海女さん達。ama「食べて。これはサバの味噌漬け。いくらの塩漬け。カワハギ……」chika「……」ama「辛くしないと、ごはんが喉に通らないから。食べないと、力が出ないし。」chika「菓子パンとかは?」ama「すぐ消化してしまうから(ダメ)。」食べる=働く=生きること。wajima2013-05
船で1時間ほど走ると漁場が近づいたようだ。甲板に皆が出てきた。wajima2013-06
身支度を終え、海に入るまで、あっという間。wajima2013-07
潜水。「サザエ見られても、潮が早くて行かれんわ〜」3人一組の海女が、バトンリレーするように、海底と水面を行ったり来たり。水中の魚を狙う鳥が、一直線に急降下して、海底にまで潜っていくようなスピードと迫力。wajima2013-08
水を割いて垂直に落ちていくスピードは早く、マスクが吹き飛ばされそうだ。十数メートル潜ったところで、身体を水平にし、上昇気流に乗って滑走するように横へ移動する。広大な海底世界に居る獲物を探し、見つけるとそこから急降下。(海に潜る=海女漁すると)「非常に目が疲れる」と海女は言っていた。wajima2013-10
海面からの高さでは、海底世界は、静止した青い世界にみえてしまう。けれども、海底に降り立つと、そこを生活空間としている海の生き物が暮らす世界を垣間見ることができる。wajima2013-11
海底で見つけたアワビを一気に起こす。(アワビの隙間に「アワビおこし」を入れ、テコの原理でひっぺがして採る)wajima2013-12
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身体を垂直にして、腕を大きく回し、両手両腕で水をつかみ下へと身体を押し出す。引力に引っ張られるかのように、地球の中心に向かって、吸い込まれるかのように、潜っていく。wajima2013-14
深く、深く……。潜って、採って、浮上し呼吸。そしてまた潜り……。海中と海上を行き来している海女たちは、陸上だけで生きている人間とは違う「何か」をきっと体で感じて生きている。wajima2013-15
ここはきっと、自分の中にある太古の記憶と心身で対話する世界。wajima2013-16
大きなアワビ。wajima2013-17
「身体が出来上がるのに時間がかかるやろ」だから早いうちに海女を始めないと大海女にはなれないと言う。「おらぁ、自然と(海女を)覚えた。親は働いとるし、遊びながら覚えたよ。夏は子供の頃、舳倉へ親と一緒に行って、潜り方を覚えていった。高校生の時に自分で決めて海女にになったよ。」wajima2013-18
採った品物を競りに上げる。今日の稼ぎ。wajima2013-19
漁師町の家並み。wajima2013-20
「来週土曜日は運動会? 母さん、海(へ)行くから休めと言おうかな……」秋風が吹く頃まで海女さんの稼ぎどき。4人息子の母はとても忙しい。wajima2013-21
別の船着場では、祖母の帰りを待つ孫達が。wajima2013-22
女は海女、男は刺し網や釣りと、家族や周囲の人達が漁民である海士町の食卓は豊かだ。タイ、メバル、カレイやアワビ。歯ごたえとのどごしの良いモズクなどの海藻類。海が健康だと、人も元気でいられる。wajima2013-23
フタ付きサザエの串焼き。wajima2013-24
石川県能登半島の北、朝市で有名な輪島から約50km、日本海沖に浮かぶ舳倉島(へぐらじま)。周囲約5キロと小さく、島の標高も高いところで約12メートル。海がしけると島が見えなくなるので、海女が潜る場所の位置を確認するための目印として積み上げられたとも、龍神様の供養の ためとも言われているケルン(石積み)が点在する。wajima2013-25
小さなガラス製の水中眼鏡をかけ、上半身は裸でふんどし姿の海女の写真を見せてもらった。当時、娘だった海女は、今なお大海女として海に潜り続けている。アワビやサザエ、ワカメなど豊かな漁場に囲まれたこの島で、「命」と向き合いながら生き、時は自然のリズムで刻まれていく。wajima2013-26
祭りの数日前から、海女漁もお休み。みんな準備で忙しい。お化粧は、女の仕事。友達の化粧も、男の女装も、女の子たちが率先して、キレイに仕上げていく。wajima2013-27
日本海側の海士・海女のルーツは福岡・宗像市鐘崎と言われる。素潜りを生業とする漁労民族は漁場を求めて点々と移動。輪島市海士町などに住み着いた海女たちは、夏季の漁期のみ舳倉島へ移住し漁をしていたという。海士町の漁師や海女は、昭和50年に、海士町に里宮として新築された、奥津比咩神社を氏神信仰の拠点として仰いでいる。wajima2013-28
「輪島市海士町 奥津比咩神社大祭」この神社のお神輿には、海女の町ならではの「命綱」がついています。wajima2013-29
「命綱」を引っ張りお神輿を先導する地元の子供達。漁師が多く団結心が強い海士町では、観光客に見せるためにでなく、自分たちが楽しみ、地元の人々の心を集結させるものであると祭り本来の意味を再確認させてもらった。wajima2013-30
祭りは力と心の集結だ! 4か所ある輪島の大祭の中で、唯一「海中渡御」が行われる「輪島市海士町 奥津比咩神社大祭」。お宮から御輿が一旦出ると、袖ヶ浜のお旅所へ着くまで、一度も神輿をおろしません。wajima2013-31
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顔に紅を塗り、赤や青のカラフルな腰巻姿を付け、女装した若衆に担がれた神輿が、海中乱舞を繰り広げる(海士町奥津比咩神社、大祭出宮祭入水神事)。神社から出発した神輿は、集落を練り歩き、神輿の入水神事のために、袖ヶ浜へ向かう。これは、海士町の女神が年に一度、海を渡り輪島の男神に会いに行ったという言い伝えにちなんだもの。wajima2013-33
夏の海は気持ちい。日が暮れる頃、海に浸かったお神輿の後をつけていく子どもたち。wajima2013-34
海女とその子ども、孫達が遊ぶ海岸。海や漁が身近にある海士町の子どもたち。海女になるのでしょうか? 海の仕事につくのでしょうか?写真の右下にある[i]マークをクリックすると説明を読むことができます。